一、壁

だが、その後にも例えば毛髪が僅かに伸びる。細胞はまだ生きているのだ。これを医師は検知できないので、少し早めに死を宣告し、壁を取り払うこともある。また、死体検案書は、診察中以外の人の死因や時刻を医学的に証明するものである。

事故死、突然死、自殺では、警察医や監察医による検死が必要であり、死体検案書が交付される。死因が特定できなければ、行政解剖を行う場合がある。

生から死は一方通行である。死後はどうなるか。どのような処理を受けても最終的には原子や素粒子となり、宇宙をさまよう。エントロピー法則で、これらの粒子が集まっても固形物にはなりえない。

「色即是空 空即是色」は宗教の領域である。これをエントロピー法則で解釈するのは無理である。それでも、「色即是空」を科学的立場で解釈する試みがある。

空は無のこととの解釈で、無には絶対無があると想定するが、その中には粒子は存在しえない。死後の世界は宗教の中でも論じられるが、だれも死から復活した人はいないし、死後の世界を知る方法はない。キリスト教では復活についての記載があり、論議の対象であるが、私は全く分からない。

輪廻転生を主題とした、三島由紀夫の『豊饒の海』(全4巻、新潮社、1969〜1971年)は三島の遺作として評価が高い。これも輪廻の間にある、いくつもの壁を経て成り立つと想像している。

著名な社会科学者の小室直樹が、『新版三島由紀夫が復活する』(毎日ワンズ、2023年)で三島は輪廻転生を社会科学的に解明したと称し、「三島の仏教理解が、いかに徹底したものか、その深さ、はるかに日本人を超えていると評せずんばなるまい」と書いている。

「待望の新版」という新聞広告欄で見つけた。「われ生を知らず、いずくんぞ死をや」との孔子の言葉がある。

生も死も自分では分からない。生死の壁を経た後、再び生の世界に戻るのは、粒子として存在している間に、偶然にも受精、妊娠、出産の中に取り込まれるからであろう。その確率は非常に低いがゼロではないことを信じる。

死について核エネルギーの点から検討してみる。ただ、現実とは関係ない計算上のことであり、宇宙の始まりとしてのビッグバン、暗黒物質等の未知の現象がありうるので、検討しても必ずしもすっきりしたものとはならないだろう。