1月1日(金)

元日

静かな1年の始まりである。

私は4時頃に目を覚ましたが、良子は既に起きていた。元々朝は早いが、それが更に早まった。寝るのが早くなったのである。夜、9時前には寝ている。

「おめでとう」と私は言った。「おめでとう」と良子は応えて微笑んだ。生きていてくれて本当にありがとう、心の中で言った。

良子は白湯を呑んでいた。寝起きに温い白湯を呑むことは、内臓への目覚ましなのである。私は舞美人を一升瓶から湯呑についだ。良子は、しょうがないわねという顔をした。

70になって、笑顔の可愛い女だ。ひとから見れば単なる老婆だろうが、私には、いくら見ても見飽きない顔である。

私の義兄が、内心、その弟の嫁に良子を望んでいたと、ずっとあとになって知った。しかし弟には既に深い仲の恋人がいて、話は具体化しなかった。もし実現していれば、間違いなく幸せな夫婦生活であっただろう。

義兄は良子のことを、「精神安定剤」と言っていた。「良子ちゃんのような奥さんなら、10年は長生きできる」とも言った。義兄の弟Y氏の結婚生活は、幸せなものであった。良子と違って旦那を指図したように見受けられたが、Y氏は満足していた。

ただ子供が授からなかった。それだけに二人は常に一緒だった。Y氏がすべての役職を終え、最上級のレクサスを買い込んだ。これから二人で日本全国、行きたいところへ行くんや、と嬉しそうに宣言し、実行していた。

それが半年後、夫人は倒れ、意識を戻すことなく、逝った。そのときのY氏の悲痛が、今の私には分かる。そのときには分からなかった。人生とは何であろう。

良子がY氏と結婚していれば、今の私はどうしているのだろう。良子は嫂の姪である。

母は、「良子ちゃんのような子がお前の嫁になってくれたら、どんなにか安心だろう」と、良子に聞こえるようにつぶやいていた。その横にはコオがいた。どうして良子が、私のヨメになったのか。今でもよく分からない。

ずっとあとになって、40の頃、私はカトリックの洗礼を受けた。「良子のような女が私に与えられるのなら、神は存在する」と思った。神を信じたのはそういうことであった。

良子は、静かな女であるが、弱くはない。個性をいうなら、真に個性的である。化粧というものをしない。顔にも髪にも塗ったことがない。クリームも口紅も髪油も、見たことがない。

嫁入りに持ってきた鏡台は部屋の隅におかれているが、前には椅子がない。時々、雑誌などが積み上げられている。私は鏡台の前の良子を見た記憶がない。洗面台の鏡が良子の化粧台であった。

一度だけ理由を聞いたことがある。強度の近視のために鏡の中の自分の顔がぼやける。だからやめた。

髪油も塗らない。毛染めなどしない。しかしきれいな肌であり髪である。白髪を、私はきらいでない。

それにしても女が化粧をしないというのは尋常な個性ではない。いつの間にか、裏千家の茶道では「準教授」、草月流生け花では「1級師範顧問」の資格を得ていた。

良子の作った膾(なます)を肴に舞美人を味わってると、元日の夜が明けてきた。国旗を玄関に揚げた。