俺が十三の歳まで家族四人で住んでいたのは、首都高の高架下、築四十年経つ四階建て賃貸マンションの2Kだった。
目の前の誇らしげにそびえ立つ建物は、てっぺんにUFOのような白い円盤がのっていて、周囲を巡ると中央の塔から放射状に幾棟かのビルが伸びているのがわかった。
今思い返せばパノプティコンの近未来型、という印象だが、歩きながら全容がわかってくると、その複雑な威容に怯えに近い感情を抱いた。おそらく、人間を徹底して効率的に管理することを第一目的に設計された姿が、そう感じさせたのだろう。
その建物のどこにも、もうお袋はいないことはわかっていたが、いやわかっていたからこそ、安心して俺は出かけて行ったのだった。もちろん、家族には内緒だった。
拘置所の敷地の周囲をうろついているとき、無性になにか食いたくなって、歩いていればコンビニでもあるだろうと期待していたのだが、行けども行けどもコンビニにも食い物屋にも行き当たらなくてまいった。
小菅の駅に戻って売店であんパンを買い、三口で平らげたのを覚えている。中学を卒業して高校へ入学する春休みのことだった。中高一貫校だったから、中学卒業後の春休みでもクラブ活動があり、さんざん身体を動かした後でめちゃくちゃ腹が減っていたのだ。
タクシーの後部座席に俺と並んで座っている優子が、今まで泣いていたことも忘れたように金属板の塀にじっと見入っている。俺は自分の脈が強く搏(う)っているのを感じた。それが癪に触って「意外と塀が低いな、高圧電流でも流れてたりして」と声に出した。
優子が咎めるような視線を向けてくる。「それにしてもすいぶん広いなぁ、税金だろ、ぜんぶこれ」と視線を跳ね返す。助手席に座っている親父は俺の言葉を素直に受け止めて「ああ、女性用では全国で一番大きいな、ここは」と他も見てきたようなことを言う。
正面玄関にタクシーが停まった。そこだけ塀は低くなっていて、日の丸が掲げてある奥の建物は、茶とピンクが混じったような柔らかな色合いだ。いかにも女の囚人がいるところ、という雰囲気がするのは俺の考えすぎか。
親父は勝手知ったるといった様子で門衛に会釈すると、工場へ出社する工員のような足取りで敷地の中に入っていった。俺と優子もそれに従う。