普及の工夫と苦悩 太田雄貴

悔いがなかったか。これがベストかと言われればそうではない。そして「またいつか、五輪を日本に招致したいか」と聞かれれば、答えに臆するのも現実ではある。

抜群のチームワークを誇った招致活動の最中は、力を合わせれば何でもできるとどこかで信じていた。だが、現実はそれほど美談ではないが、やってやれないこともない。

「船は航海士が悪ければ難破するし、どんなに舵を切る人が頑張ってもどうすることもできない問題もあります。でもまたいつか、もしも50年後にこの経験を残すとするならば、五輪を国や都市の未来構想にどう重ねていくか。

ハード面、ソフト面、あらゆる投資がある中で、心も含めた豊かさをどう求めるかを理解して招致しないといけない。五輪は記念試合ではないし、これは1つのゴールではない。五輪を1つのスタートだと思える人間がトップに立つことが必要ではないかと思いますね」

眩い光も、だからこそ生じる影も知るからこそ。太田は、過去ではなく未来を見据えていた。

勝つためにすべきこと 張西厚志

分厚いファイルにきれいに整理された書類やIDの数々。その1つ1つを丁寧に、「これはこの大会で誰々がメダルを獲った時」「この時の日本選手団は」と説明する。

国際フェンシング連盟殿堂入りの証書も、きれいに額装されていた。

「全部取ってあるんですよ。写真も書類も1つ1つ、歴史と思いがこもっていますからね」