【前回の記事を読む】【日本フェンシング実録】母校の法政大でコーチとして指導に携わるも、活動費はほぼ自費。合宿、遠征と出ていくばかりで収入はゼロ…

兄貴としての役割 齊田 守

アンダーカテゴリーの指導経験はあったが、ナショナルチームのコーチとして世界選手権に出場したのはこれが初めて。

1人でも多くの選手を勝たせたい、と意気込むも、結果はベスト64から32が精いっぱい、という惨憺たるものだった。

何より齊田が愕然としたのは、大会中にコーチ全員、団長以下スタッフ全員が集まった場での他種目のコーチ陣が発した、いわば言い訳とも言える弁明だった。

「日本からポルトガルへ来て、時差ボケがあったので力を発揮できませんでした、と言うのを聞いて驚きましたよ。いやいや、俺たちは勝ちたくてここに来ているんじゃないのか、と。今思えば生意気ですけど、その空気に我慢ができなかったんですよね」

何か意見があれば言ってほしい。副団長の張西厚志の呼びかけに、齊田は即座に言った。

「僕を含めて全員ダメです。変わるべきです。だって、僕たちは勝ったことがないんですよ。それなのにこの先、世界選手権や五輪で勝てますか? ロシアを見て下さい。ロシアは金メダルを5個獲りました。日本はどうですか? ベスト16でいいんですか? 自分たちは自費だからそこまで責任を持てない。それでいいんですか? ダメでしょう」

同時に提案したのが外国人指導者を招聘すること。以前もフランスやイタリア、フェンシングの強豪国からコーチを招聘したことはあったが、練習場にもスーツ姿で訪れ、ろくに指導もしないのに、冷蔵庫へ常にワインを入れておけ、と指示をする。

世界ではまだ弱小だった日本は、完全になめられていた。