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兄貴としての役割 齊田 守

「やっとこの時が来た、と。やったぁ、とガッツポーズで力がみなぎる感じではな く、よっしゃ、と喜びながらも力が抜ける感じ。あー、よかった、と。嬉しいんだけど、それよりもとにかくホッとしました。これで、終わらないぞ、って」

勝利の瞬間からは怒涛のごとく、歓喜する選手を称え、取材や撮影に応じる選手を見守り、運営にも目を配る。だがさすがに表彰台の一番上で金メダルを胸にかけ、会場に日の丸が掲げられ、君が代が響いた瞬間は、胸にこみ上げる万感の思いがあった。

改めてその喜びを噛みしめたのは、試合を終え、会場近くのホテルに戻ってから。元男子エペ日本代表選手で、20年までコーチを務めた西田祥吾に電話をかけた。

「やったな」

電話越しで、西田が泣いていた。

本来ならばコーチとして共に選手と戦うはずだったが、家族の事情で帰郷を余儀なくされ、日本代表のコーチも退いた。道半ばで去ることを西田は詫びたが、教え子で、同じ法政大の後輩であるというだけでなく、この金メダルに西田が不可欠な存在だとわかっていたから、齊田は一番に喜びを分かち合いたかったと振り返る。

「サーシャ(オレクサンドル・ゴルバチュクコーチ)の教え子で、選手の気持ちが一番よくわかる存在。それでいて決して偉ぶらず、威張らない。『走れ』と命じるのではなく『俺も走るからついてこい』というタイプの人間で、彼がいたからこの個性だらけの選手がチームとしてまとまった。そういう姿を見てきましたから、いろいろ言いたいんだけど、よかったな、しか言葉が出てきませんでした」

電話を切り、つい数時間前までの喧騒が静寂の中で蘇る。

同時に、これまでの数年、十数年の日々も走馬灯のように蘇り、初めて感情が溢れた。