ならばすぐにでも世界へ連れて行くべきだ。「まだ早い」と大学生や社会人を前提とした日本代表にしようとする周囲を敵にしてもいい、とばかりに齊田は太田を推した。
「これからを考えたら、太田を使わないと意味がない。実際彼もその期待に応えて大活躍したので、これ以上ない形で周りを納得させてくれました」
現場に最も近い理事だったからこそ、選手の目線に立つだけでなく、これからを見据えた時に変えなければいけない課題が齊田にはいくつも見えた。
たとえば審判。国際大会へ出場する際は日本代表として選手や監督、コーチだけでなく帯同審判員も連れていかなければ、その分を他国から借りると見なされ費用がかかる。だが、海外へ遠征させる費用とは比べるまでもなく、わざわざ審判員を別枠で連れていくことができなかったため、審判の資格も持つ齊田が監督やコーチと兼任した。
さぁこれから試合、と気合を入れて選手とレッスンをしたいところで審判員として呼び出しがかかり、審判を終えるか終えないかというタイミングで日本の試合が始まる。
「着替える間もないんです(笑)。これじゃあ勝てないよ、と。すべてをアマチュアからプロにしないとダメ。コーチもお金を出してプロとして責任を取ってもらう人を呼ぶ。レフェリーも育てないとダメ。そういう環境に整えていくことが全部、結局はメダルにつながることだろうと。僕は絶対に五輪でメダルが欲しかったし、金メダルが欲しかったですから。そのためにどうするか。見えるのは課題ばかりでした」
2003年に男女フルーレ統括コーチとしてオレグ・マチェイチュクが来日してからは、より一層、その課題は浮き彫りになった。
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