世界で勝つためにどんな環境を整え、日本フェンシング協会はどうあるべきか。強化の中枢をどうすべきか。
体操競技で目の当たりにしてきただけに、1896年のアテネ五輪から実施されてきた数少ない競技の中で唯一日本がメダルを獲得したことがないフェンシング競技が、未だ競技の未来を描こうとしない現実に、張西は愕然とした。
変えなければならない。このままではあかん。
もともと行動力は抜群で、日本フェンシング協会理事に加わってからは理事会の場でも体操競技の例を伝え、本気の改革が必要だと説いた。
だが、当然ながら最初は周囲の反応も芳しくない。むしろ張西が唱える正論を煙たがる人も少数ではなく、理事選挙で外されたり、自ら辞表を叩きつけたこともあった。
だが、信念を貫けば敵ばかりでなく味方もできる。当時の会長も後ろ盾となり、「あなたは会長推薦として私が理事に推したのだから、辞める、辞めないは会長の自分に一任してほしい。その代わり、あなたが描く改革を進めればいい」と後押しされた。
そうなればもう、やるしかない。
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