「商才はあるが、儲けようとする気持ちが強すぎる。先を見越して金を投じることを無駄だと思い、それをしない。今の商売を今のまま続けるには不足はないだろうが、時節が大きく変わった時に何も備えがなく店を潰してしまう。商売は生き物だ。そして人が動かすものだ。それを分かっていない。加えて我が強いものだから人の意見を聞かない。あれは駄目だ」

善衛門は正助にそう語り、正助に店を継がせることを決めたと告げたそうだ。そうなると正助を絶対に裏切らない優秀な右腕が必要になる。桝井屋で働く者は、例外なく本店のある京周辺で雇われ、本店で修行してから江戸店に来ている。代々、初代当主の出身地周辺で店の者を雇う習慣が続いている為だ。松太郎一家の影響力が強い彼らを心底信用は出来ない。

そこで、十年ほど前から江戸郊外で店の小僧を雇いはじめ、正助の味方を少しでも増やそうとしてきたが、一番初めに雇った者達も十六、七ほどで手代にもなれていない。これでは松太郎との跡取り争いで正助が競り負ける。

そこで善衛門が白羽の矢を立てたのが、井口家の源次郎と清三郎だったのだ。二人とも算術と書に長け、正助と仲の良い友だ。幼少の頃から、正助の跡取り教育を間近で見て、時には一緒に学んだ二人には商才があると常々、見込んでいた。

善衛門の身内でもあるし、店の小僧からではなく、廻船問屋や新しく始める両替屋の跡取りとして育て、ゆくゆくは分家させ、正助が管理する店の数を自然に減らそうと考えたらしい。

「でも、お侍を捨てることは大変なことだろう。おとっつぁんもお侍から商人になったから二人に無理強いするつもりはないんだ。源さんと清さんなら、学もあるし剣も使える。持参金さえあれば婿養子先を見つけるのは難しくない。だから二人とも断ってくれて構わないんだよ」

正助の言葉に源次郎と清三郎は押し黙ってしまった。