「身代守(しんだいもり)」

桝井屋善衛門の子、正助は、優秀だ。商才もある。しかし、父、善衛門には遠く及ばなかった。善衛門は呉服屋三店に、廻船問屋を切り盛りし、両替商の株を買って、新たに両替屋も始めようかというほどの商才の持ち主だ。しかし、正助には多くの店を同時に何店も切り盛りするほどの才がない。ならば優秀な番頭や手代に、何店か任せてしまえば良いが、善衛門は番頭や手代にそこまで頼ることが出来なかった。

正助の祖父、先代桝井屋の弟一家が分家として、京の本店にいるからだ。呉服屋は着物の仕入れの関係で、上方に本店を構えていることが多い。質の良い友禅や西陣織は上方でしか仕入れることが出来ず、上方の本店から全国の店に反物を送る為だ。

本店と銘打っているが、現在の一大消費地は江戸。実質、江戸が本店なので、当主一家は数代前から江戸に居を移している。しかし、本店が担う役目があまりに大きい、下手な者は置けないから分家を本店に置くのだ。

その弟一家には、正助と同い年の松太郎という孫がいて、商才が豊かであった。善衛門が見た所、その才は紛れもなく、正助よりも上。上方の店には次期当主に正助ではなく、松太郎を推すものが少なくないのだという。そんな事情があるものだから、安易に番頭や手代に頼れない。正助の跡取りとしての才が足りないと周囲に知らしめるようなものだからだ。

それならばいっそ、松太郎に当主の座を譲った方が良いかと一度は考えた善衛門だが、松太郎の人柄を知るうちにその気が無くなった。