因みにオーストラリアやニュージーランド、さらには中東なども、同様の手法を用いて次々に植民地化している。各部族の利害関係を巧みに利用して、離間や取り込み・虐殺などによって征服する英国の冷淡かつ巧妙な手法である。

この手法は軍事力を背景として現地の情報収集、分析評価、狡猾な外交術を駆使してなされたことから、今日の英国情報部門MI6の活動に生かされている。英国の収集した情報の信頼性が高いのは、植民地獲得からえられたノウハウの蓄積によるものと思われる。

これを機に、英国は西側諸国として初めて、中国に対して朝貢制度によらない欧州法に基づく貿易への先鞭(せんべん)(先に着手)をつけることになる。ただしこれは現在の最恵国待遇に基づく平等なものではなく、欧米のルールに倣う不平等関係であった。

英国は清国と単独でアヘン戦争を戦い、上海や寧波など五港を開港させ、香港島を譲り受ける(南京条約)。さらにフランスやロシアと共同してアロー戦争を戦い、南京や漢口など十港を開港させるとともに、九龍島(きゅうりゅうとう)南部をも獲得する。

一方ドイツはアロー戦争には参加しなかったものの、ビスマルクがイギリスに対抗して清国進出に乗り出す。日清戦争時の清国戦艦「定遠」「鎮遠」の造船及びクルップ社による旅順要塞化への協力がなされる。また清国にドイツ・アジア銀行を設立するなど、対清貿易量はイギリスに次いで二位となっている。

このドイツの中国への協力は、ビルヘルム二世の「黄禍論(こうかろん)」(義和団事件で被害を受けたドイツ人への報復感情)などによって一時冷え込むが、日本の満洲国建国辺りから再び活発化し、ナチス・ヒトラーの時代まで続くことになる。

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