彼らは徹頭徹尾僕らに注意を払わなかった。演習の予告もなければ人払いもない、周りの市民の安全など考慮の外といった態。

おそらく日本人の命などアメリカ兵の百分の一の値打ちもない時代だったのだろう。

僕は知らなかったが、警察予備隊は朝鮮戦争を皮切りに占領軍の肝入りでこしらえた日本の“軍隊”だった。

日本国憲法制定を指導し、憲法九条に日本の戦争放棄を高々と掲げたはずのGHQは、それからわずか四年で日本の実質的な再軍備に手を貸したのである。

鶴前の米軍基地は当初はかつての軍港を統括すると同時に、大陸から帰還して来る旧日本兵や民間人の引き揚げ事業を監督する為に作られたものだったが、朝鮮戦争が勃発するとその補給基地として重要な位置を占めるに至った。

強硬な反共主義者のトルーマン大統領にとって、米軍統治下の日本はまさに東アジア反共の砦(とりで)たるべき存在になった。

一九五〇年前後の鶴前の米軍基地は軍事的な重要性を持ち、その存在感を強く印象付けていた時期と言える。

かつての軍事施設を接収し、海を隔てた向こう側の半島の情報を収集し、あちこちで僕らが目にしたような訓練を展開していた。

街にはGIがけばけばしい化粧をした日本の女を腕にぶらさげて大股で闊歩していた。彼女たちの存在も敗戦を越えて、いかに日本の価値観が変わったかの象徴だった。

戦前であれば敵兵に通じた女たちは、ドイツの降伏後、ドイツ兵の恋人だったフランスの女たちがされたように、頭を丸坊主にされていたに違いない。

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