Ⅰ レッドの章
米軍基地
僕の母はクリスチャンで家には牧師や宣教師の女性が出入りしていて賛美歌が聞こえてくるといった、この田舎町で甚だ周りから浮いた存在だった。
それが縁で僕の一家はとある米軍将校の一家と親しくなった――と言うより、僕の母が米軍将校の奥さんと、と言った方が正しいだろう。
僕たちはこのカールソン夫人宅に招いてもらうという栄誉に浴したが、当の主人のアメリカ陸軍大佐は日本人が大嫌いで一度も顔を見せなかった。今考えると大佐の気持ちは分からなくもない。
カールソン一家が日本を引き揚げる時には東鶴前駅まで一家で見送りに行ったが、家に招いてもらって仲良く一緒に遊んだ一人娘のパトリシアは妹のことを余り覚えていなかったと見え、汽車に乗り遅れることだけを気にして挨拶もろくにしなかった。妹は少しがっかりしたことだろう。
世の中は急に〝男女同権〟になったかのようにスローガンだけが歩き回っていたが、僕の記憶に鮮明な〝男女同権〟は基地のアメリカ軍人の子供たちを通してもたらされたものだった。
町の鎮守の森で目にした光景である。ある日曜の午後、子供たち用の小さな土俵で十歳前後のアメリカ人の子供たち――全員白人で女の子一人と男の子四人――でゲームをして遊んでいた。
ゲームは女の子が取り仕切っており、四本の柱に四人の男の子を一人ずつ立たせて、女の子が何やら言いながら一つずつ柱を回る。男の子が正しく答えられたら、その子は柱を離れることを許されて女の子の後ろをついて歩く。答えが正しくなかったらいつまでも柱に立ちんぼうのままだ。
男の子は入れ替わるが命令し取り仕切るのは女の子一人。そのゲームを延々と続ける。その間男の子たちは彼女の命令に従順に従って柱のところに立ちんぼうを続けていた。
クリスマスには父が病院内に生えている杉の木の枝振りのいいのを切ってもらって、家に持って帰り、我が家の居間に立てて、家族中で金モールの天使やピカピカの色玉、小さな家などで飾り立てた。
この時ばかりは妹の独壇場で僕らは彼女の手伝いといったところだったが、それでもとても楽しかったのを覚えている。クリスマス・パーティーには父の病院のスタッフや隣家の娘さんも招いて母のピアノ伴奏でクリスマス・キャロルを歌った。