家にはピアノがあった。これも戦時中京都の親戚の家に置いていたので焼けなかったのだ。

母は音楽的な才能は余りないと謙遜したが、それでもソナタまでは終えていた。妹のレッスンを引き受けたが、隣家の内科の先生の娘さんも習いにきた。

その家にはピアノがなかったので練習もさせてあげたが、母はプロではないからとレッスン料は取らなかった。

町には映画館と公会堂があった。父は僕たちを時々映画に連れて行ってくれた。

覚えているのは喜劇役者・ボブ・ホープの『姫君と海賊』(一九五一年日本公開)だ。

映画の中で海賊の親分(ボブ・ホープの主人公と一人二役)の鉤(かぎ)の手が壊れると「made in Japanかな?」とつぶやく。この時も兄が一緒だったが父と兄は憤慨する代わりに一緒に笑っていた。

もう一つ僕の記憶に強くすり込まれているのは僕らの家のすぐ前にある元川であった警察予備隊と米軍の合同演習である。

僕はその時川向こうに住む級友と川のほとりを歩いていた。

すると突然日本人の兵隊の一群が列をなして走ってきて立ち止まり、隊列の何人かの兵隊が僕らの見ている前で川の土手から小さな中洲目がけて銃を向けて弾丸を撃ち込んだ。

その辺りに紫色の硝煙がもうもうと立ち込めた。

それから隊列はその中洲に目がけて水しぶきを上げて走り下りて、また向こう岸の土手に上がって走り去った。

指揮をしていたのがアメリカ兵だったか日本兵だったか、はっきり記憶にない。

時間にして十分もあったかどうか――あっという間の出来事だった。