エアコンのない時代の花屋は大変だった。夏は暑いから花も傷みやすく、冬は暖かくすると花に良くないので火鉢のみで暖(だん)をとるという日常だった。
それでも紫衣はお店にいるのが好きで、火鉢のところに陣取っていた。
「紫衣、乾物屋(かんぶつや)さんに食パン買いに行ってきて。バター塗ってくださいというのよ」
このおつかいは出来た。何故ならば最高に美味しい食べ物だったから。
「おばちゃん、パンちょうだい、バターも塗ってね」
すると、マーガリンに砂糖をまぶしたものを厚切りのパンの表面にたっぷりと塗ってくれるのだ。バターではなかったが、砂糖の触感をジャリジャリと味わいながら、この世にこんなにも美味しいものがある幸せを噛み締めていた。
兄の翔とは七才年が離れていたこともあり、とても優しくしてくれたが、一緒に遊べる遊びもなく、紫衣は祖父母の花屋の店番をしながら、いつも一人で空想していた。
空を飛べたら、雲まで行こう。
雲はわたあめだと信じていたからだ。
雲の形はいつも変わるからちっとも退屈しないで空を見続けた。
風はいいなあ、いつでも好きなところへいける。
紫衣はなんでも丁寧にするあまり動作が遅く、 相変わらず内気な子供だった。
そしていつも空を見ていた。
毎年夏に久史の両親のいる島に帰る行事は、紫衣が高校を卒業するまで続いて いた。
車で帰る方が現地でも足ができるので、車で一日がかりで帰るようになった。
その頃から帰るのは久史と紫衣と翔の三人。
美紀は花屋の仕事もしていたし田舎が性に合わなかったのだろう、「いってらっしゃい」と笑顔で見送り、東京でお留守番である。
今 考えると、美紀は久史の兄に不当な扱いを受けて行かないことになったのかもしれない。
そんなことは一言も言わなかったが十分あり得る話である。
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