「ねぇ、ばぁば。今、昭和レトロって流行っているんだよ」

「そうなんだぁ! Z世代の若い子たちは昭和の文化が珍しいのかな。そういえば昭和歌謡の好きな若い人もいるって聞いたことがあるよ」

文化やお金の価値観、人との付き合い方なども現在と異なる「昭和」が若い世代に受けているようだ。

「昭和は今よりも不便だったんだろうけど、なんだか温かみがある感じで良い雰囲気なんだよ」

「じゃぁ、次は昭和の頃の話でもしようかね」

【昭和30年・40年代の下町】

昭和30年代の小学生の頃は、東京タワーの建設や地下鉄日比谷線の開通、カラーテレビの発売などなど、東京オリンピックを迎えるにあたり急加速で発展していった。

戦後たった10数年後のことである。高さ333mの東京タワーは、世界一高い建造物となった。

小学校低学年の頃は、テレビは高価なもので各家庭にそれほど普及されていなく、公園や裏道に紙芝居やさんが来ていて梅ジャムせんべいや水あめを食べながら見るのどかな時代だった。 

母から十円をもらって駄菓子を買って食べたりしていた。公園の前には駄菓子屋さんが、小学校の前には小さな文具屋さんがある時代だった。駄菓子の中でも麩菓子と瓶の中に寒天が入っていて黒蜜をかけて食べるものが特に好きだった。

この寒天の駄菓子は、今は全然売っていなくて淋しい。天草が採れず寒天は高級品になってしまったからだろう。

車の往来も細い脇道には殆どなく、缶蹴りや絵描き鬼など道路も遊び場だった。高学年になる頃には、駄菓子屋さんにもんじゃが食べられる鉄板を置いた広めのお店もできた。

もんじゃと言っても中身はキャベツのみじん切りが3切れほどの質素なものだったが、鉄板に流し入れて薄いせんべいにして食べると美味しかった。また、両親に連れて行ってもらった中華料理屋さんのちぢれ太麺のラーメンが美味しかった。

この当時のラーメンが50円だった。何故値段を覚えているかというと、家の近所にできたラーメン屋さんである出来事があったからだ。

 

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