第4章 母と共に父母の実家訪問

母と毛鉤で魚釣り

母はおもむろに毛鉤を出して、近くの川へ行こうと、私を誘ったのです。私は母の後をついていきました。毛鉤に糸をつけ短い竿を川に落とします。そうして少しずつ竿を動かします。毛鉤はまるで蚊のような形をしています。魚はそれを餌と思いそれに飛びつくのです。

私はびっくりしました。こんな魚釣りをしたことがありませんでした。面白いくらい小魚が釣れるのです。母は子供の頃こうやって魚釣りをしていたのでしょうか? 母とこんな魚釣りができたのは初めてで、韓国訪問した時の一番の楽しい思い出です。

私の田舎の足利に流れていた渡良瀬川では、一九四七(昭和二十二)年、大洪水がありました。また足尾銅山から鉱毒が流れて、時たま魚が浮いて、近くの住民を困らせていました(明治時代、鉱毒の公害のことで闘った田中正造という歴史上有名な人がおりました)。

川のことで話がそれました。つまり、私の近くの川では釣りなどできなかったことを言いたかったのです。

しかし母の実家の近くの川は水の量はそんなに多くなく、深さもちょうど膝ほどで、魚が泳いでいるのがよく見えるくらい水が澄んでいます。

私は母のやり方を真似て毛鉤で何匹も魚を釣りました。まさか韓国で魚釣りができるとは思ってもみませんでした。

なぜ母はこんな毛鉤を用意したのでしょうか? 今考えてみたら、小魚を食事のおかずの足しにするためだったのかしら? 子供の頃こんなに魚釣りをしたのかしら?とも考えましたが、母に聞くのを忘れました。

母の田舎では動物性タンパク質を取れないから、夕食のおかずにするためだったのかもしれません。母がすでに他界しているので、何もわかりません。ただ楽しい思い出を残してくれたことが嬉しいです。