第2章 アルミ鋳物の営業開始
屈辱
松葉は、30年以上前1人でアルミ鋳物の販売のために東京へ行ったことを思い出した。初めて仕事で上京したときのことである。
地元出身者の東京で活躍している人を訪ね、相談をした。そこで、建設会社に行ってみたら?と言われた。
サンプル片手に、ある大手建設会社を訪ねたときのことは忘れられない。
玄関の自動ドアが開いた。吹き抜けになった広い玄関ロビーの中央に、受付嬢が2名立って、大きな声で「いらっしゃいませ」と、にこやかにお辞儀をした。
松葉は、購買部に行きたい旨を告げた。
アポイントは取ってあるかと聞かれた。アポイントがないと案内できないという。まして、誰に会いたいのか分からないようでは繋ぎようがないという。
宮崎から御社に伺いたいばかりに、飛行機でやってきました。アルミ鋳物のメーカーです。何とか購買担当の方にお取次ぎをお願いしたい、と何度もお願いした。
受付嬢は、電話を取り、何やら困った顔をして話していた。
受話器を下ろすなり、今下りて参ります。そちらでお待ち下さい、と受付嬢は壁際の椅子を指差した。
14、5分して、25、6の若い担当者が現れた。
名刺を交換するなり、
「宮崎から来たって? 宮崎ってどこだっけ?」
「松葉工業? 聞いたことがないなぁ」
「飛行機で来たの? 宮崎に飛行場はあったの?」
「アルミキャスト? アルキャストだろう? 知っているよ。そんなところで本当に造れるの?」
「物が造れればよいというものじゃないよ。取り付けどうするの? メンテは?」
「実績は?」
「ない? 何もないじゃないか」
「ないでは、とても使えないね」
「見積りだけでもさせてくれだって、無理だよ」
「意味がないもの」