何という偶然(そりゃあ小説だもの、どんな偶然でも創出することができるのだが……)自分が世話をしていた老人、実は主人公マーコの祖父であったエフィング、その息子バーバーが自分の母の教師であり、たった一度の逢瀬でできた子供が自分であった。

しかも、エフィングと知り合ったのは本当に偶然のことで、主人公が長い間エフィングの世話をしている時はエフィングが自分の祖父であることを全く知ることがなかった。そしてそれはエフィングの側も同じであった。

エフィングの若き頃の冒険話、マーコの心情、父バーバーの人生、どれも趣が異なる話ではあるが、非常にうまく結び付けられ小説全体のまとまりは良い。

中華料理店「ムーン・パレス」から始まる「月」というイメージもこの小説のキーワードの一つとなっている。

月は、インディアンの心象世界では「明日」を表す言葉であり、画家である祖父エフィングの友人の月の絵の印象。マーコが放浪の末、行き着いた太平洋岸で見た月もこれからの人生の始まりであることを決意させるものであった。

主人公は孤独と闇の中で必死にもがきながら最後にようやく自分の人生の展望が見えてきたのである。

非常に多くの余韻が残る小説であり、七〇年代に若者であった世代(私はそれよりちょっと若い世代なのだけど)の心象を色濃く表現している小説である。