医師からは数カ月間は私が目を離さないで付き添い、不安定な心を落ち着かせることが急務と診断された。これまでの私は妻に対して、何でも「甘いことを言うな」と一蹴していた。妻の心の闇に早く気づき、寄り添うべきだったと改めて猛省した。
■2021年12月3日
歩行器を使用する訓練に入った。手すりにしがみつき、必死に立ち上がった。左脚を引きずり血の滲むような思いで妻は5メートルほど歩いた。低血圧と強烈な痛みが骨盤と脚を襲い力尽きた。
昨日まで動かなかった左脚。これまでは過重を10キロまでしか負えないという医師からの条件提示があったが、妻は痛みを乗り切り歩行器にしがみつき、一歩前進した。
「お家に帰りたい」。
それだけを願う妻の身体には、言葉では表すことができない不思議なパワーがみなぎっていた。
リハビリの医師は驚いていた。
「各種骨折した重症患者を診てきたが、危篤状態から1カ月。この短期間で立ち上がり、心肺機能が安定しない状態下、5メートル歩いた例は極めて少ない。奇跡としか言えないです」と励まして下さった。
妻は、生きるためにどうすべきか、明日のために自分はどう闘うべきか前向きに考え始めている。明日の朝陽を生きて迎えるためにともに闘いたい。
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次回更新は7月24日(水)、16時の予定です。
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