第1章 泰子さん認知症に

1 おかしいと思い一人で病院へ

二〇一〇年 ガーシュウィンに苦戦?

泰子さんに認知症の症状が見られるようになったのは、二〇一〇年頃のことです。

そのときはまだ、泰子さんはもちろん、私も認知症を疑ってはいませんでした。ただ娘の泉は、ある違和感を覚えたようです。

「些細なことだけど、私が展示会をしたときに、ガーシュウィンの曲の演奏をお母さんにお願いしたら、苦手というのとは違う感じで苦戦していたのが少し気になっていたのよ。

また、その前にも生徒さんにジャズっぽい編曲をする、と言っていたのがなかなかできなくて、とてもイライラしていたのを見て、いつもと違うなと感じたわ。

また、新しいことや慣れていないことに対してのイラつき具合とかできなさ具合が、それまでとは随分違っていたの。

ほかにも、お母さんが家で開催していた音楽の勉強会だったかな……。その宿題にも苦労するようになっていて『そんなに辛いならやめたら〜?』とよく話していたのよ。やはり音楽が、私にはすぐわかる変化だったんだと思ったわ」と、言います。

また、ほかにもおかしなことは続きました。私の同僚が退職するときに、合唱団のクリスマス会を兼ねて、送別会が行われました。そのとき演奏を頼まれて、二人でエルガーの『愛の挨拶』を弾きました。

練習もしっかりしていたのでいい演奏ができました。終わると大きな拍手の中、予定していなかったアンコールがかかりました。そこでいつも弾き慣れているフォーレの『夢のあとに』を弾くことにしました。

しかし、弾き始めたらあちこち引っかかって、泰子さんはうまくできなかったのでした。やはり、娘が言っていたように、このときから少しおかしかったのかもしれません。

 

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