また、泰子さんができることを探して、やってもらうようにもしてきました。泰子さんにとってそれは、ピアノを弾くことです。ですから、少しでも弾くことができ、二人でアンサンブルが楽しめることを最優先の目標にしました。
しかし、ピアノが弾けなくなって自信を失った泰子さんを励まし、みんなの前で演奏ができるようになったのも束の間、二〇一八年の演奏が最後になりました。翌年の三月にはピアノが全く弾けなくなり、歩けなくなり、そして言葉も失ってしまいました。
それから、本格的な在宅介護が始まりました。
在宅介護を始めて四年、認知症になって十年目には、二度の誤嚥性肺炎で緊急搬送され、とうとう在宅介護が難しくなり、二〇二三年八月三十日に、特別養護老人ホームに入居することになりました。
介護に絶対という方法は、ないと思います。それは、生きてきた環境や考え方がそれぞれ違うからです。けれど、その人に合った最良の介護方法は必ずあると思います。
そういう私自身、介護が必ずしもうまくいっていたわけではありません。なぜうまくいかなかったのかという問題点についても包み隠さず綴りました。
介護者がどのように対応すればいいか、少しでもその参考や手助けになればと願っております。