そこで、この合意に基づいて日米韓が協力して国際機関を設立することになり、一九九五年三月九日にKEDOが発足した。

その後同年十二月に「供給取極」が結ばれ、出力千メガワット級の軽水炉二基を北朝鮮に提供することが決まった。

それを受けて、一九九七年七月二十八日にKEDOが発電所建設用地内に琴湖(クムホ)事務所を開設したところ、以降一年間にわたり日本は外務省からほぼ一カ月交代で延べ十名の職員を出張派遣した。

その後、米韓両国から日本代表も現地に常駐させるべきだとの強い要望(圧力)があって、ついに私が派遣されることとなったわけである。なお、ここに書かれている感想や見解は、あくまでも著者個人のものである。

(注)個人名は米国、韓国の各代表及び各組織の長は通称名を使用したが、必ずしも本名ではない。

北朝鮮政府関係者については、筆者が独断で漢字に置き換えたものであり、これもまた本名ではない。それ以外の人物については、個人情報保護の観点から原則としてアルファベットで役職と併記した。

なお、紙面の制限により多くの見聞や体験の中から特に印象に残った事項のみを取り上げている。したがって、著者が直接関与したエピソードや会議、視察のみに限定した。

より詳しく知りたい方は、『KEDO[韓国代表]が目撃した! 北朝鮮 断末魔の虫瞰図』(李賢主著、ビジネス社刊2004)を併せて参照されたい。