第一章 一九九八年 夏

八月九日(日) 晴

辞令を受け取る

本日付で人事異動通知書が交付された。

「大臣官房に配置換する

朝鮮半島エネルギー開発機構に派遣する

派遣の期間は平成十年八月九日から平成十二年八月八日までとする

派遣の期間中、俸給、扶養手当、調整手当、住居手当及び期末手当のそれぞれ百分の百を支給する」

日本を代表して北朝鮮に赴任するという職務の重要性や現地での生活の不安に身が引き締まる。

成田からソウルへ、日記再開

東京(成田)発ソウルに向かう。結婚以来妻に見られるのが怖くてやめていた日記を二十年ぶりに今日(旅立ちの日)からつけることに決めた。任地に着いたらこの他に毎日「業務日誌」も書いて私の体験や感想等を記録していきたい。

八月十一日(火) 晴

北朝鮮入国とその後の長い旅路

昨日ソウルから北京に到着。いよいよ今日は未知の国、北朝鮮に入る。

平壌(ピョンヤン)行き高麗(コリョ)航空の機種はロシア製の「イリューシン62」、フライト番号はJS152。座席には座布団が敷いてあった。ビデオや音楽鑑賞用イヤホンは配られない。また、客室乗務員はとても親切だったが、機内食は正直美味しくはなかった。

平壌の順安(スナン)空港からはチャーター機(プロペラ機)に乗り換え四十分で宣徳(ソンドク)空港に着いた。韓国電力公社の職員や現場の労働者たちと一緒だ。