「そうですね。でも、それは五箇山でも同じだと思うのですが。五箇山では、こんな冊子まであるのに、白川郷では、役場や観光案内所に行っても公開合掌家屋に行っても、塩硝についての説明文や遺構や道具も何一つ見当たりません。まるでわざとかき消したみたいですよ」
「そう言えばそうだね。なぜだろう。わたしも村の人間だから、それが当たり前で、篠原君に言われて初めて気が付いたよ。でも、何となく、人に知られたくない気分はわかるような気がする。
だって、塩硝造りって、人間の生活の限界みたいな凄い生活だったと思うよ。火薬は武器だから、加賀藩は人に知られないような秘境で作らせていたわけだ。秘境で暮らす方の身になれば、絶海の孤島で暮らすようなものだ。自分たち以外、何もない。
その上、四十人近い大家族が一つ家に暮らして、朝から晩まで働いて、しかも家族みんなの毎日のオシッコが主原料だから、一滴残らず大きな穴に溜めておくわけだ。そして集めた物を床下の土にすべて入れて寝かせておくのだから、その臭いもひどかったんじゃないかな。
一年中、便所の中で暮らしているような具合だったかもしれないよ。でも、そんな暮らしを良いの悪いのなんて言ってはいられない。そうやって火薬を作って、売って、食べていったわけだから。
この秘境で、食べていくっていうのは、そういうことだ。食べていくために大家族が一つの塊になって、いろんなことを我慢して我慢して、暮らしてきたんだよ。だから村の者にとって、あんまり思い出したくない過去ではないかな」
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