篠原はがっかりした。なんだ、富山県側(越中)では、誰でも知っていたのか。白川郷(天領)側から合掌家屋を見ただけだから、一人で謎だと思っていたのだ。

みんなが当たり前に知っていることならば、新聞記事にはならない。篠原は、今までの取材がすべて無駄であったと思った。

でも、まだ一つだけ、微かな謎が残っているとも言えた。つまり、白川郷側の合掌家屋を見ただけではなぜ塩硝作りのことがわからなかったのか。

それはつまり、白川郷には塩硝の館どころか、観光案内所にも役場にも、塩硝造りに関するパンフレット一枚なかったからだ。もちろん公開合掌の家々でも塩硝造りの道具や遺構は何一つ展示されていなかった。

だから、たった今、志田が言ったように「白川郷では知られていなかっただけ」ということになったのだ。さらに村の人たちも昨夜の河田太一郎ように、塩硝については話したがらないから、いよいよ知られていなかったのだ。

なぜ白川郷では塩硝造りをオープンに語らないのか? 篠原は、この謎が新聞記事になるほどのテーマになるとは思えなかったが、今はともかくこの微かな謎を究明するために、目の前にいる志田に直接聞いてみた。

「白川郷では、なぜ塩硝造りが知られていなかったのでしょうか。実際、村の人に塩硝のことを聞くとイヤな顔をされたり、怒ったり、はっきり塩硝なんか作ってないと言う人もいます。なぜなんでしょうか?」

「秘密の産業だったから、よそ者への警戒心が今でも強いからじゃないかな」