私は、アッシュドット・ヤコヴ・イフドに到着するなりキブツの事務所に連れて行かれ、キブツに入る際の注意事項の説明を聞き、契約書にサインをした。
契約書には、夜7時以降にはキブツ内を走らないこと、走れば銃殺される可能性が大いにあるということや、境界線の向こうには、地雷が埋め込まれているため、キブツの北側の境界線を越してはならないということなど、今まで平和社会ばかりを見てきた私には、全く驚くことばかりが書かれていた。
イスラエルには、男女共に兵役義務がある。その為軍服を着て機関銃を持った若者達が至るところにいる。キブツの食堂のテーブルの上に機関銃を置いて食事をとるのは、日常茶飯事のことである。
キブツで暮らすイスラエル人の殆どが、自分の親族の誰かがアラブとの戦争で亡くなったと言っていた。アッシュドット・ヤコヴ・イフドの子供達は親元から離れて子供の家で暮らし、1週間に一度だけ親の住むアパートに行って夕食を親と一緒にとる。
キブツでは、給料というものがない。代わりに、金額は覚えていないが、僅かながらの「おこづかい」と煙草数箱が報酬として与えられた。煙草を吸わない私は、煙草をクッキーかなにかと物々交換したのを覚えている。
アッシュドット・ヤコヴ・イフドは、ニル・エリヤフよりかなり大きいキブツだけあってボランティアワーカーの数も多かった。
ドイツ、南アフリカ、オーストラリア、アメリカ等、様々な国から来ていた。
日本からは、私一人。殆どのボランティアワーカーは、真面目にキブツの農作業を早朝から行っていたのだが、一人のアメリカ人の女の子(確かレイチェルといったと思う)は、常に寝坊をしていた。
ある日、私達がレイチェルの部屋に迎えに行くと、彼女はまだベッドの中におり、「私は、今までこんなに早く起こされて奴隷のように働かされたことはなかった。早く(ニューヨークの)家に帰りたい」と泣きべそをかいた。
他のアメリカ人が、レイチェルは典型的なJAPだから仕方がないよと言った。
JAPとは、日本人を軽蔑する為の呼び名だとばかり思っていた私は、何故レイチェルが JAPなのかと聞いたところ、JAPは、ジューイッシュ・アメリカン・プリンセス(Jewish American Princes)のことで、甘やかされて育ったアメリカ、特にニューヨークに住むユダヤ人の娘をあらわす呼び名だと言った。
アッシュドット・ヤコヴ・イフドの日本人は、私一人だけであったが、隣の姉妹キブツであるアッシュドット・ヤコヴ・メウハッドには、日本人男性の正則君(仮名)がボランティアワーカーとして住んでいた。
私は、時々正則君を訪ねてアッシュドット・ヤコヴ・メウハッドへ遊びに行った。
アッシュドット・ヤコヴ・メウハッドに近いまた別のキブツに住んでいた日本人女性の佐藤佳子(仮名)ちゃんも正則君のところに遊びに来ていることが多く、私と佳子ちゃんはそこで意気投合し、後に二人でスイスへ行くことになる。因みに正則君は、後に同じキブツのイスラエル人女性と結婚してイスラエルに残ったと聞いている。
【前回の記事を読む】あの日本赤軍最高幹部の重信房子に風貌が少し似ていた(!?)ためか空港の入国検査で私だけ別の部屋に連れていかれ身体検査をされて…