だが、立場が変わることで、いろいろと分かってきたことが数々ある。真似事でも主夫業を続けたことで、貴重な経験をしたことになる。

また、このことで妻に対しいろいろ注文を付けていた自分の我儘さも逆に知ることになってしまった。さらに自分の作る料理に対して妻から注文が付いたらと思うと、とんでもない展開までも見えてきた。

今となったら笑うしかないが、主婦は大変なのだなあというところが本音である。立場が変わると、全く予想だにしないことも考えさせられるものだと、改めて思った。

よく妻は子供たちと一緒に料理やお菓子なども作ることをやっていた。単なる手伝いをさせていると、その時は思っていたが、子供たちにも包丁を持たせて、ケーキや料理を作って一緒に食べることは、出来合いものでは感じ得ない食育となっていたような気がする。

まさか食育まで考えさせられるとは、思ってもいなかったが、そのことが見えてきた。また、母親が料理や洗濯や家事をすることを子供たちに見せたり、家事を手伝わせる何気ないことでも、家庭での小さな躾に繋がることになっていたような気もしている。

このようなところから自分の子供の頃に当てはめると、母親としての家庭内での存在感は、父親よりも数段大きかったように思う。

また、母親は特に学校から帰った時などに、出迎えてもらうとホッとする気持ちを抱かせる存在でもあった。

結婚して子供ができたことで、妻としてよりも母親としての存在価値が家庭内ではとても大きいものだとつくづく考えさせられ、そのことが子供を育てる上で、核になり得る存在でもあると今では考えている。

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