じいじになった私
メダカの水槽楽団
話を戻すと、エサやりを毎日続けていると、このようなことが分かってくる。ただの置物に徹していると、何も見えてこないが、毎日何を考えているのかと見続けると、分かってくる。というより教えてもらっている感が強い。
このメダカも昨年に孫の夏休みの自由研究に最適と考え五匹ぐらいをあげてみたが、水槽が小さ過ぎたようで、あえなくダウンしてしまった。そして、今年こそと思い再度挑戦させようかと思っていたが、コロナ禍で身動きできず今回もあえなく断念することに。
メダカには、飼育ポンプもいらず、水槽の水は減った分だけを継ぎ足しするだけ。水も汚れた時だけで、殆ど取り換えなくて良い。つまり、劣悪な環境でも生きていける。この逞しい生命力は羨ましく、この点だけに限っては、メダカに大きくあやかりたい。
また、昨年はそうでもなかったが、今年は卵の産む量が半端なくすごい。増え過ぎても困るために、どうしたものかと考えた挙句、自然にまかせることにした。
つまり、ホテイアオイの水草に産み付けた卵を、そのまま放置しておくと、メダカたちは自分たちの卵を食べてしまう。この習性は他の魚などでもある現象で、珍しいことでもないらしい。
卵も水草の根っこに植え付けてくれるために、一回ぐらいは、卵から孵化する誕生の瞬間を見たいと、リビングの出窓に小さな水槽を置き、妻と代わる代わる見ていたが、なかなかその時は見られない。
いつもゴミかと見紛うぐらいの稚魚が、チロチロと泳ぎ出してから見ることになる。近頃は、今年生まれたチロチロたちに、エサをあげようと水槽に近づくと、十匹ぐらいが寄ってくるようになりだした。