これまでは、水草の下にすぐ隠れて出てこなかったが、ようやくチロチロたちが、ラブコールを察しだしたのかな? と思ってはみたが、単なる「メシメシメシ!」だったのかもしれない。

このように小さな命の楽団員も、活き活きとして逞しく育っている。生きるエネルギーも強く、生態からいろいろと見えてくる発見や生き甲斐まで与えてもらっている。短い命と感じながらも、小さくて可愛いピチピチ・チロチロな我が家の先生たちである。

世の中と私

少しだけ哲学模様な話と言葉の妙

どこまで不思議な生き物かという感覚に囚われることがある。それは人間とは一体全体何物ということである。なぜかそのことに立ち止まる時が多くなってきている。

自分の形を持たないアメーバのような心を持つ極めて掴みどころのない生き物ではないかととりあえず仮定している。しかし、考え出すと余計に分からなくなり、いつものように、脳内に一時保留することになる。

このようなことは、年を重ねたことと、自分の性格的なことによるものだと思うが、人間の行いとして許されない行為を見聞きするたびに人間とは何物という疑問文が、頭に浮遊してくる。

例えばテレビを見ていると、痴話げんかがもつれて殺人事件になってしまう報道をよく目にする。殺人まで犯すには、それまでの時間の中で当事者たちにしか分からないいろいろな出来事があったと思う。

しかし、殺人は理由の如何にかかわらず、全く理解のできない行為である。よく非道なことができるものだと不思議でならない。殺人はその後の人生に決して元に戻れない終止符を打つことになる。親戚縁者まで巻き込み社会的にも大きな制裁を受けることになる。