殺人者は、その行為によって多くの人を傷つけてしまうことを考えるような精神状態でなかったことは否めない。殺すという意味さえも本人には全く分かっていなかったということになるかもしれない。
殺人事件の報道を見聞きする時に、人生を終わらせてしまう人間の行為に自制心も働かず、殺すことだけの選択肢しか本人に解決手段がなかったのかと。特に考えさせられるところは、殺人の前にできたたくさんのことがあったのではないかということである。
犯罪心理学という言葉を聞いたことがある。犯罪や犯罪者の心理を研究する学問のようである。私のような偏見論者からすると「人間とは何か」という宇宙に絶えず向き合っている学問とも解され、人間をひたすら研究する学問とも受け取っている。
殺人事件はこの他にもたくさんある。子供の虐待死、金銭トラブル、強盗殺人、介護疲れ、とにかく多過ぎる。いずれにしても殺人は絶対にあってはならない。その最悪な人間の行為に人間の悍ましさが胸に刺さる。
近頃は、自分でも自身の存在に何者なのかと自問自答する時がある。その答えは変とか妙とか狂とか奇の言葉で括られる。つまり、おかしいことだけはよく分かる。
このように自分自身を客観的に捉えられている間は、まだ正常に老脳でも機能している状態であると考えながら安心しているところでもある。
極論は否めないが、人は誰でも自分のことは、性格と感情の動物ぐらいにしか分かっていないのではないかと思う。偏見論者からすると以上のように結論付けている。
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