始めた頃は、何かの料理らしきもので、食べられるものであればという低落な哲学を持って作ることを日課にしていた。この書き方で私の料理内容の説明は全くいらなくなる。
しかし、作り続けるうちに、料理を作ることは生命維持になくてはならない行為であり、生きているということを食べることで証明しているようなものである、ということに気づきだした。
毎日同じことをひたすら繰り返すことが、どんなに大事なことか。身の回りを見回してもそれらのことが、どんなに多いことか。朝日が昇り夕日が沈むまで、どれだけいろいろなことが世の中に起きているか。
あまりにも当たり前過ぎて、日々の繰り返される当然の事象のため、目には入っていてもあえて考えなくても良いことであった。朝起きてテレビを点ける。窓を開ける。鳥が鳴いている。風がそよぎ、木々が揺れている。
このような当然なこと、いや当然ではないということまでも気づかされた。日々の自分の生活スタイルが変わったことにより、呆然と自身に湧き出てきたものである。
毎日夫婦に子供三人を含む家族五人分の食事を作ることを妻に依存し、何ら違和感なく日々の営みとして看過することが、それまでの自分のスタイルであった。
そして、ふと頭をよぎったことがある。
一般的には自分が、家族を維持するために働き稼ぎ、大黒柱と言われ、そのつもりでいた。がしかし、そうは見えても実際は違うということも気づかされた。
つまり、母親である妻が家の核となり、大黒柱であり続けた方が、一番安定した家庭が築けるのではないのか。そのことに遅まきながらにわかな主夫体験で分かってきた。
とにかく主婦として、家族のために日々食材を買ってきて料理を作り続けてくれた、そのことを当然として私は受け流し、その意味することも考えていなかった。