四十八
初夏の温かな午後、アトリエから外の木々のざわめきが、古い窓ガラスに影を揺らめかせているのを飽きずに眺めていた。
影をよけて煌めく光と風のつくるリズムとの連続が修作を眠りへと誘う。
なんだか疲れた、ふと躰の奥底から沸き立つような感慨がもれた。
一瞬のうちに半世紀以上の時間が胃の中のものすべて嘔吐するみたいにせりあがってくる。短いけれど、かつ長かったとも感じるその道程にたしかに疲弊した躰がそこにはあった。
恐れと恍惚とした陶酔が押し寄せ、そのなかに躰ごと呑み込まれていくようだ。葉陰を割って乱反射する光の目映い広がりにいつしか修作は子供に帰る。光に戯れたあの頃が今のことのように修作を激しくゆさぶる。
修作には六畳の薄暗い奥座敷が見えてくる。なのに矩形の光の形が母親と修作の間にふつりあいなほど白い光を落としていた。
父親が仕事場で負傷し、左腕を失ったことを母親が知った日のことだった。
彼はまだ小学校にもあがってはいない。母親の背中には幼い妹が背負われ、様子がおかしいと察知したかのように、泣き続けている。
母親自身もしくしくと泣いていた。幼子を抱えて、これからどうして生きていったらいいのか、と涙声で言っている。
しばらくして、母親は修作を見つめて、
「頼むよ、お前だけが頼りだ、長男のお前が……」と。
修作は今の自身の生きざまに、身を隠したいほどに顔が火照るのを感じて、苦し紛れのいやな呻き声を吐き出す。その言葉に真摯だったのは思春期を迎えるまでのことで、以後両親を裏切り続けてきた。
原子同士がぶつかり奏でるアンサンブル。
種子は時間の表現であり、新たな時のはじまりの予兆。
地球に間借りして生きているにすぎない人間。
ブラックアウトした画面に音だけがいつまでも流れる。
秩序がなくてもピースがひとつになる。
無人地帯。コンクリートをコンプリート。
もしかして、ダジャレってる。もう二度と会えぬ大切なものたちへ。システィーナ。受肉した芸術。
十一月のある日。<あなたの子供を宇宙で産みたい>
意識という不確かな存在の本体。意識が存在すれば、肉体はなくても、それは人間なのか?また肉体がなくても、意識が存在することはあるのか?
動線の先にガスマスクが積み上げられ、ゲシュタルト崩壊がはじまる。
四十九
修作は幼い頃も今も根底は内向的な性格なのに、あるリミッターを超えると、ダムが決壊するように爆発的な意識の放出をする。
道化た言動・行動をしなければと、いてもたってもいられなくなるのだった。
いいと言われることではなく、ダメだよと言われることに引力を受けてしまうおかしなところがあった。
【前回の記事を読む】「躰だけじゃなく、心も病んじゃったのかしら」看護師と隣の患者がこそこそと自分の話をしているのが聞こえ・・・