新潟での日々

対照的な父と母

そんな母とは対照的に、父は信仰心が篤く、誰にでも公平で穏やかな人でした。母より優しい音色でピアノを弾き、ちょっとかすれ声ながら音程は正確で、優しい父の歌声に聞き入ったものです。

毛糸が絡まると、ほどくのは父の役目。時間をかけて最後までほどいていました。いつも笑顔で誰からも好かれる父が、母のわがままに翻弄されている姿を見ると、「お父さん、どうして言い返さないんだろう……」と歯がゆく思ったこともあります。

その父が、いつからか遠く離れた小学校へ赴任して、家にいなくなってしまいました。もしかしたら、父がいなくなったために、母は益々イライラしていたのかも知れません。

そして、東京の叔父(父の弟)の家に身を寄せていた祖父は、一度も和島村を訪れることなく亡くなりました。そのためか、私には祖父の記憶がほとんどありません(東京の養護学校に通う次姉に会いに行ったとき、叔父さんの家で一度会ったような気もしますが)。

一方祖母は、祖父が亡くなってからときどき和島村に来るようになり、そのたびに、「お世話になります……」と言って母に頭を下げていました。仏様のように穏やかな祖母。父は祖母似でした。

二人に本気で怒られたことは、一度もなかったように思います。祖母は、和島村に来ると母に布団作りを頼まれ黙々とやっていました。

あるとき、糸がなかなか針穴に通らず苦労している祖母に、「おばあちゃん、糸通そうか?」と声をかけると、「ありがとう……」と、観音様を拝むように私に手を合わせたのです。

その姿に、「こんなに優しいおばあちゃんが、どうしてお母さんに遠慮しなくちゃいけないの?」と切なくなったことを覚えています。祖母に対する母の態度は決していいものではありませんでした。

その後祖母は、単身赴任した父のところに移り、そのまま和島村に戻ることなく生涯を終えました。祖母が亡くなる前、父の下宿先を訪れると、祖母は目を閉じたまま布団の上に横たわっていました。

「私が呼んだらきっと目を覚ましてくれる!」と子供ながらに奇跡を信じ、「おばあちゃん!」「おばあちゃん!」と何度も声をかけましたが、祖母は目を開けることなく息を引き取りました。私にとって初めての、肉親との悲しい別れでした。

そんな生活の中で私が一番楽しみにしていたのは、毎月一冊、父が買ってきてくれる本でした。それは、学校に出入りしている業者さんから購入していたものだと思いますが、『少年少女世界名作全集』(講談社)という本でした。

『家なき子』『ああ無情』『王子とこじき』『十五少年漂流記』など様々な名作がありましたが、中でも一番心に残ったのは、ジャン・バルジャンの『ああ無情』です。本当に悲しくて切なくて、何度も読み返しては泣いたものです。