第一部フローベールの芸術的出発 ―初期作品を読む ―
1.初期作品にみる〈無限〉
「無限! 無限! 巨大な渦巻だ。深淵から最高の未知の領域へ昇る螺旋(らせん)だ。我々全てがくらくらしながらその中を回っている古なじみの観念だ。
誰しも胸のうちに持っている深淵、測りしれない深淵、底なしの深淵だ! 我々は幾昼夜となく苦悩の中で空しく考える。神とは、永遠とは、無限とは? これらの言葉は何かと。
……このように終りのない何ものかを考えると、無惨や我々は顔色なしだ! 現在生きている我々もその中に入る事になり、その広大無辺さにみな一様に弄ばれるのだ。我々はどうなるのか? 無だ、吐息一つなくなるのだ。」
彼はこの〈無限空間〉の中に、人間も自然もない世界の滅亡後の空虚な広がり、虚無の広がりを思う。しかしこの〈無限〉はこうしたペシミスティックな世界観を与えるだけではない。
「感極まると、思想は人間にとって未知のあの領域に高く舞いあがっていった。それは地球も惑星も恒星もない領域だ。僕はもしあるとすればだが、神の無限よりもっと広大な無限を手に入れた。詩想(ポエジーpoésie)が自ずと育まれ愛と恍惚の中でその翼を広げたのだ。」
「地上に、全ゆる無価値なもののうち、崇めるにたる信仰があるとすれば、神聖で純粋で至高な何かがあるとすれば、我々が魂とよぶ、茫漠無限への飽くなき欲求にかなう何かだが、それは芸術なのだ。」
〈無限〉の至高の領域は、ポエジーに結びつけて考えられており、無限への欲求にかなうものとして〈芸術〉が考えられている。
フローベールにとって〈無限〉は、虚無・深淵を考えさせる否定的相のみならず、詩想、芸術の息する至高の領域として肯定的相も持っている。
しかし、どういう段階をへて無限から実在へ降りるのか、どうすれば徐々に詩想はそこなわれずに降りてゆけるのか、無限を抱くこの巨人をどうやって縮小するのか分からず、このポエジー、高揚した思想のはばたく〈無限〉の世界を表現する術(すべ)がない。
そして「無限の中に美を求めたかったのに疑惑しか見当らない。」と嘆く事になってしまう。1839年の作品『スマール』の中で展開された〈無限〉もほぼ『狂人の手記』と同様のものである。
〈無限空間〉の中へ悪魔の誘惑に応じてともに飛翔したスマールにとって「無限は一層広大なものになり又一層暗いものになる。」そしてこの広大さに打たれながら、そこで神を求めたのに、何一つ存在しない虚空である事を知って恐怖を感じる。
「私を滅ぼす二つの無限がある。一つは私の魂の中にあって私を蝕む。もう一つは私の周りにあって私を打ち砕こうとする。」