スマールは、外界のこの〈無限空間〉を知ろうとして空中に高く飛翔するのだが、そこに神ではなく虚無、深淵をみて打ち砕かれる。もう一つの魂の中にある〈無限〉とは何か。

それは作者の自伝的記述とも思えるスマールの過去回想の部分に示されている。太陽と共に生き自然を見つめ自然の音に耳を傾けて生きる彼の魂の中では、自然の一切のものが広大な調和を持ち一切のものが反響している。彼はこの魂にかきたてられて詩人になる事を夢みる。

「おお! 詩人! それは他人より偉大だと感じる事、神の手になる被造物のように、全てを己のうちに入れ、回らせ、語らせる事ができる程広大な魂を持つ事だ。

草の芽から永遠まで、砂粒から人間の心にまで及ぶ果てしなく絶えまない諸段階の全てを表現する事。この世にある最も美しいもの、心地よいもの、甘美なもの一切を、……世界を、不死不滅を所有する事だ。」

しかし、いざペンを手にしてみると何をいったらよいか分からず、一言も書く事が出来ずここに芸術の限界さえみてしまう。

「無限を抱きしめたいと思っていたのにその食いものにされていた。」という『狂人の手記』の主人公の実感は、『スマール』の中にもそのまま引きつがれていく。

「……はたと行きづまってしまうところがあるものだ。最近もずっと無限と対峙していた僕のミステール(神秘劇、『スマール』の事―筆者注)執筆中で多いに苦しんだ。僕は自分の魂を惑わしていたものを表現する術がなかったのだ。」(1838年12月26日)と書簡に告白したようにそれは又フローベール自身の状態でもあった。

彼がこの己をさいなむ無限=虚無から身を引きはなして、魂の中の無限を表現できる芸術家の道を生きる事に救いと確信を見出すには、『11月』を経て『初稿感情教育』でのジュールが到達したような芸術観まで待たねばならない。

2.恋にみる〈無限〉

1842年の作品『11月』では〈無限〉はこれまでのように虚無と結びついた悲観的世界観として示されもするが、その至高の領域に芸術とならんで恋愛が現れてくる。

これまでも、「理性の終るところから心の帝国が始まっていた。心は広大で無限であった。何故なら心はその愛情の中に宇宙を含んでいたからである。」(『汝何を望まんとも』)

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