はじめに
この本ではまず第一部で広大な自然を前に魂がその中に、融解・合体して味わう〈汎神論的(パンテェイスム)恍惚体験〉を含む初期作品の〈無限〉を考察して、若き日の作家の基盤、芸術的出発点と来(きた)るべき展望を押さえる。
ついで第二、第三部では現世の性を越える、永遠の愛に通ずる両性具有(アンドロギュノス)の問題をテーマに、作者の女性観、恋愛観を概括し『サラムボー』を読み解く指標とする。
なお『サラムボー』は執筆順からみれば『ボヴァリー夫人』の次にくる作品だが、古代を舞台にしたこの歴史小説の背景は作家の夢と幻想を色濃く反映していて、両性具有の指標が読み取り易いので、まずこの古代世界を押さえてから、最後に同時代を舞台にした二つの作品の世界を読み解く。
第四部では『ボヴァリー夫人』の脇役、夫のシャルル・ボヴァリーを中心にして彼をめぐる3人のボヴァリー夫人達を含む物語として、今までとは違った視点からこの物語を読んでみる試みである。
第五部では二月革命から第二帝政まで19世紀後半の歴史を舞台にした『感情教育』の世界を、遠い昔、青年フローベールが体験した恋と重ねながら読み解いていく。
21世紀の今日(こんにち)、小説も文学全般もかつての輝きを失い、それに代わる多くの娯楽が満ち溢れている社会で、今何故フローベールなのか? 2世紀も前のフランスの作家と作品なのか?
それは先に簡単に触れてきたように、彼が〈書く事〉に捧げた情熱と努力が今も決して無意味な作業とは思えないからである。どれ程社会が進歩し便利な世の中になっても、人は生きている限り思った事、感じた事を、話し、書く事で他人に伝えたいと願い、伝える作業を通して自己のアイデンティティを確立していく生き物だからである。
その心に秘めた、感じた思いを確定し定着させるには何より〈書く事〉が大事であり必要であろう。何をどう書くべきか、あなたが何かを表現したい、表現しようと思って悪戦苦闘する時、生涯文体の鍛錬に苦吟した作家がいた事を思い出すのは励みになるだろう。
フローベールの〈人間は無、作品が全て〉という信条に支えられたその表現力の切磋琢磨した世界と、彼の作品世界に秘められた極めて現代的なテーマ〈ジェンダーの問題〉は注目に値する。
その作品世界は、つい最近まで無視され、非難されてきた因習的性差別への新しい世界観を垣間見せてくれる足掛かりにもなると信じている。作品論に興味が持てたら、是非作品(全て翻訳存在)を読んでみてその世界に触れて欲しいと切望している。