これが霊的に神様に対する「第1の義」の状態であり、信仰=契約を結ぼうとする者にとっては必須の前提条件なのです。だから神様は、全人類一人残らず強制的に、原罪の贖いを与えてしまっているのです。
なぜなら、神様は「一人でも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられる」からです。しかし、ここで神様の方で一方的に「救い出す」ことをせず、
「望んでおられる」のは、次のステップとして、人の方から自主的に(自分の決断で)神様を信じる行動に出ることが、「契約に必要な絶対条件」だからです。
神様は「公平・公正で義なる方」だから、人を神様の姿に似せ自由意志を持たせて形造った以上、人の自由意志による決断と行動を、あくまで尊重されます。
神様が人の意志を無視して一方的に何かをするなら、それは人を奴隷/操り人形として扱っていることであり、神様の創造目的に反するからです。
●ここで神様の、「人に対する顕現の3パターン」を明らかにしておきましょう。
神様の「人との交わり方(立場)」の種類について、ほとんどの人がそれを見落としていて、聖書の正しい理解ができないでいます。
聖書はそれぞれの呼び名によって、「人との関わり方」を正確に使い分けているので、その言葉遣いの意図を理解しなければなりません。
『旧約聖書』には「神」、「神である主」、「主」と3つの呼び名が出てきます。
「創世記」1:1~2:3「神」、「創世記」2:4~3:24「神である主」、「創世記」4:1~「主」、と主語が異なっていることを霊的に解釈しなければなりません。
それはアダムを創造(バーラー)した全能の神が、アダムに支配権を渡してしまったら、今度はその権威を持つアダムの意志を尊重するので、「神」から「神である主」の立場に変わることです。
さらに、神の約束を信じ、その救いを受け入れた人に対しては、「主」となるのです。
A.「神」とは、宇宙の創造者、全知全能ですべてのものの上に立つ支配者として、絶対的権威で人に接する時の姿。創造のわざ(バーラー)は、「神」でなければできない。
信じる人も信じない人も、その言葉(絶対性)には人の意志にかかわらず、必ず従わねばならない関係性。「言葉」によって無から有を生じる権威。また霊の裁きの神の姿が典型。しかし他方で、信仰を持たない人が使う一般的呼び名。
【前回の記事を読む】イエス・キリストの死とよみがえりで、誰でも神の前に立つことが出来るようになった