そこで、正行(まさつら)は声(こえ)を上(あ)げて言(い)いました。
「これ以上(いじょう)は戦(たたか)えない、敵(てき)に捕(つか)まるな」
正行(まさつら)は兄弟(きょうだい)で刺(さ)し違(ちが)えて亡(な)くなりました。正行(まさつら)は二十三歳(さい)、従(したが)える兵(へい)百(ひゃく)四十三名(めい)、皆(みな)ここで亡(な)くなりました。
明治(めいじ)九年(ねん)、詔(みことのり)して正行(まさつら)に従(じゅ)三位(み)が贈(おく)られました。
〇支那史(しなし)
⑥漢書(かんじょ)(巻之五十四・蘇建傳二十四)
【21】「蘇武(そぶ)」
前漢(ぜんかん)の時代(じだい)(紀元前(きげんぜん)100年(ねん)位(くらい))の頃(ころ)のお話(はなし)です。
漢(かん)の蘇武(そぶ)は武帝(ぶてい)の御代(みよ)に中郎将(ちゅうろうしょう)の役職(やくしょく)を与(あた)えられ、使者(ししゃ)としての旗(はた)を持(も)ち匈奴(きょうど)の国(くに)に使(つか)いとして行(い)きました。
国(くに)の長(おさ)である単干(ぜんう)は武(ぶ)を配下(はいか)にしようと望(のぞ)み、武(ぶ)を捕(つか)まえて大(おお)きな洞窟(どうくつ)に閉(と)じ込(こ)め、食事(しょくじ)も何(なに)も与(あた)えませんでした。
※1 「もう、戻(もど)ってくることはないと決心(けっしん)しているので、ここに死(し)ぬ決意(けつい)の者(もの)の名(な)を書(か)き止(とど)める」
【前回の記事を読む】「国賊を討伐することを志とした楠正行は決戦前に陛下のお顔を拝したいと望み涙を落とす