第二章 幼学綱要を読む
【忠節(ちゅうせつ)・第二】
〇支那史(しなし)
⑨宋史(そうし)(巻(かん)三百六十五・列傳(れつでん)百二十四・岳飛(がくひ))
【24】「岳飛(がくひ)」
宋(そう)の時代(じだい)(西暦(せいれき)1100年位(くらい))の頃(ころ)のお話(はなし)です。
宋(そう)の岳飛(がくひ)は家(いえ)が貧(まず)しく、学問(がくもん)に精(せい)を出(だ)し「左氏(さし)春秋(しゅんじゅう)」、「孫呉(そんご)の兵法(へいほう)」を好(この)んで読(よ)みました。
宣和(せんわ)の初(はじめ)の頃(ころ)、飛(ひ)は秉義郎(へいぎろう)という役職(やくしょく)に就(つ)き、東京(とうけい)の留守(りゅうしゅ)である宗澤(そうたく)の配下(はいか)になります。
南宋(なんそう)の初代(しょだい)皇帝(こうてい)高宗(こうそう)が即位(そくい)すると、飛(ひ)は陛下(へいか)に意見(いけん)を上(あ)げました。
「陛下(へいか)、敵軍(てきぐん)は今(いま)、まとまっていない状況(じょうきょう)です。この隙(すき)に陛下(へいか)が全軍(ぜんぐん)を率(ひき)いて北(きた)を攻(せ)めれば、多(おお)くの将兵(しょうへい)の士気(しき)が盛(も)り上(あ)がり、天下(てんか)を取(と)り戻(もど)すことができるでしょう」
飛(ひ)は所属(しょぞく)する兵(へい)を率(ひき)いて新郷(しんきょう)に進軍(しんぐん)し、何度(なんど)も金(きん)の国(くに)の兵(へい)を倒(たお)していきます。
飛(ひ)は、さらに兵(へい)を率(ひき)いて北(きた)に向(むか)い、金(きん)の将軍(しょうぐん)の兀朮(こつじゅつ)の軍(ぐん)を打(う)ち破(やぶ)り、六戦(せん)の全(すべ)てに勝利(しょうり)しました。
ついには、建康(けんこう)を取(と)り戻(もど)すと、街道(かいどう)にいた地域(ちいき)の盗賊(とうぞく)などの数万(すうまん)が配下(はいか)として飛(ひ)の軍(ぐん)に降(くだ)ってきました。
帝(てい)は「精忠(せいちゅう)岳飛(がくひ)」の四字(じ)を書(か)き、旗(はた)を作(つく)って飛(ひ)に与(あた)え、江南(こうなん)江西(こうせい)荊南制置使(けいなんせいちし)の役職(やくしょく)に就(つ)かせます。