飛(ひ)が揚子江(ようすこう)を渡(わた)る時(とき)、配下(はいか)の者(もの)に対(たい)して誓(ちか)いを立(た)てます。
「私(わたし)が敵(てき)を捕(つか)まえなければ、また、戻(もど)って河(かわ)を渡(わた)ることはないだろう」
それから、襄漢(じょうかん)を取(と)り戻(もど)し、湖湘(こしょう)を平定(へいてい)すると、度々(たびたび)領土(りょうど)を回復(かいふく)したことを帝(みかど)に報告(ほうこく)しました。
帝(みかど)は言(い)います。
「良(よ)い臣下(しんか)を持(も)つということは、この様(よう)ようである。朕(ちん)は何(なに)も心配(しんぱい)することがない。天下(てんか)を平定(へいてい)することは、すべて飛(ひ)に委(ゆだ)ねる」
飛(ひ)は、すぐに大軍(たいぐん)を率(ひき)いて天下(てんか)を統一(とういつ)することを計画(けいかく)します。
しかし、秦檜(しんかい)という者(もの)は和議(わぎ)を行(おこな)うことが一番(いちばん)大事(だいじ)であるとして、飛(ひ)を嫌(きら)っていました。
また、飛(ひ)は張俊(ちょうしゅん)と議論(ぎろん)をしても、協力(きょうりょく)を得(え)ることができませんでした。飛(ひ)は力強(ちからづよ)く説得(せっとく)して和議(わぎ)が間違(まちが)っていることを説明(せつめい)しました。
この時(とき)、飛(ひ)の大軍(たいぐん)は頴昌(えいしょう)に留(とど)まっていたので、そのまま、飛(ひ)は自(みずか)らの軍(ぐん)だけを率(ひき)いて兀朮(こつじゅつ)が率(ひき)いる拐子場(かいしば)の軍(ぐん)を郾城(えんじょう)において破(やぶ)り、さらに進軍(しんぐん)して朱仙鎮(しゅせんちん)の軍(ぐん)に勝利(しょうり)します。
飛(ひ)は行(い)く先々(さきざき)で、歴代(れきだい)の天子(てんし)の墓(はか)を取(と)り戻(もど)して修復(しゅうふく)を行(おこな)いました。
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