第二章 幼学綱要を読む

【忠節(ちゅうせつ)・第二】

○国史

⑤太平記(たいへいき)(巻第かんだい二十六・正行吉野まさつらよしのまいこと )など(四条畷しじょうなわてたたかい)

【20】「楠正行(くすのきまさつら)」

南北朝時代初期(なんぼくちょうじだいしょき)の頃(ころ)のお話(はなし)です。

楠正行(くすのきまさつら)は父(ちち)の正成(まさしげ)が残(のこ)した訓戒(くんかい)を受(う)け、国賊(こくぞく)を討伐(とうばつ)することを志(こころざし)としました。

正行(まさつら)は児童(じどう)と遊(あそ)び戯(たわむ)れている時(とき)も、常(つね)に足利尊氏(あしかがたかうじ)を斬(き)る真似(まね)をします。

後醍醐天皇(ごだいごてんのう)が花山(かざん)の院(いん)(京都御所きょうとごしょ)を逃(のが)れ出(で)て大和(やまと)(奈良県ならけん)に移(うつ)られました。

正行(まさつら)は従兄(いとこ)の和田正朝等(わだまさともら)と共(とも)に駆(か)け付(つ)け、後醍醐天皇(ごだいごてんのう)の乗(の)る車(くるま)をお守(まも)りしながら吉野(よしの)に入(い)りました。

正行(まさつら)は正四位下(しょうしいのげ)の官位(かんい)を受(う)けた後(のち)、父(ちち)の官位(かんい)を受(う)け継(つ)ぎます。

後醍醐天皇(ごだいごてんのう)が崩御(ほうぎょ)し、後村上天皇(ごむらかみてんのう)が即位(そくい)されました。

正行(まさつら)は所属(しょぞく)の兵(へい)を出(だ)して敵軍(てきぐん)を破(やぶ)りました。尊氏(たかうじ)は心配(しんぱい)して恐(おそ)れてから配下(はいか)の高師直(こうのもろなお)と師泰(もろやす)に対(たい)して、二十の国(くに)の兵(へい)の大将(たいしょう)として攻(せ)めさせます。

正行(まさつら)は弟(おとうと)正時等(まさときら)と共(とも)に陛下(へいか)の仮宮(かりみや)に赴(おもむ)き、お願(ねが)いを申(もう)し上(あ)げました