第二章 幼学綱要を読む

【忠節(ちゅうせつ)・第二】

〇国史

⑤太平記(たいへいき)(巻第かんだい二十六・正行吉野まさつらよしのまいこと )など(四条畷しじょうなわてたたかい)

【20】「楠正行(くすのきまさつら)」

正行(まさつら)は拝礼(はいれい)しながら涙(なみだ)を流(なが)します。

その後(ご)、正行(まさつら)は一族(いちぞく)の者(もの)を率(ひき)いて先帝(せんてい)のお墓(はか)にお参(まい)りし、一族百(いちぞくひゃく)四十三人(にん)の姓名(せいめい)を如意輪堂(にょいりんどう)(奈良県ならけん吉野町よしのちょう所在しょざいてら)の壁(かべ)に書(か)き記(しる)し、さらに題(だい)して歌(うた)を書(か)いて言(い)いました。

「かへらじと、かねておもへば、あづさゆみ、なきかずにいる、なをぞとどむる」※1

正行(まさつら)は兵(へい)を進(すす)めて四条畷(しじょうなわて)に向(むか)います。

敵兵(てきへい)は、およそ八万騎(まんき)でそれを五隊(たい)に分(わ)け、師直(もろなお)は一番(いちばん)後(うし)ろに陣(じん)を布(し)きました。

正行(まさつら)は兵(へい)三千(ぜん)で直接(ちょくせつ)、師直(もろなお)の陣(じん)に突撃(とつげき)します。すると敵(てき)の兵隊(へいたい)が左右前後(さゆうぜんご)に急(きゅう)に現(あらわ)れました。

しかし、正行(まさつら)は全(まった)く気(き)にすることなく、三百騎(びゃくき)で師直(もろなお)の直前(ちょくぜん)まで奮戦(ふんせん)しながら進(すす)み、必(かなら)ず師直(もろなお)と決着(けっちゃく)をつけるとして必死(ひっし)になって戦(たたか)います。

一人(ひとり)で百人(ひゃくにん)の敵(てき)と戦(たたか)うこともあり、午前(ごぜん)十時頃(じころ)から午後(ごご)四時頃(じごろ)まで戦(たたか)いを続(つづ)けました。

正行(まさつら)は突撃(とつげき)して戦(たたか)うこと三十回(かい)、斬(き)り倒(たお)した兵(へい)の数(かず)は多(おお)く、最後(さいご)は正行(まさつら)の兵(へい)のほとんどいなくなり、正行(まさつら)は師直(もろなお)を見(み)ながら残(のこ)りの兵(へい)を励(はげ)まし前進(ぜんしん)していきました。

すると、敵兵(てきへい)は弓(ゆみ)を激(はげ)しく連射(れんしゃ)して防(ふせ)ごうとします。

正行(まさつら)や正時(まさとき)は自分(じぶん)の体(からだ)に多(おお)くの矢(や)を受(う)け、その姿(すがた)はハリネズミのようでした。