中学を卒業すると進学と就職に分かれます。多くの友達が「金の卵」と言われながらの就職でした。ほとんどが東京方面に出向いて行ったのです。山あいの小さな駅から就職列車が何回も出て行きました。烏山中学校だけでなく、近隣の中学校の生徒も一緒でした。

その度に大勢の人が押し寄せ見送ります。私も友達と一緒に駅舎横の白い柵から身を乗り出して、ちぎれる程手を振りながらその旅発ちを見送りました。発つ方と見送る方の、不安と寂しさで一杯の別れの涙が、小さな駅に溢れていました。

私は次兄と同じように、奨学資金をお借りして高等学校への進学が希望でした。貧しくても進学への違和感はありませんでした。

母は常々「家には子ども達に残す財産はないので、各々教育を受けそれを自分の財産にして欲しい」と言っていたからです。

また、高等小学校しか出ていない母は、「私がそれなりの学校を出ていれば、良い仕事に就くことができて、生活の足しになったのに」といつも悔やんでいたのです。

私は、高校受験は苦でも無く楽でも無く、日常の延長にありました。

合格発表の日、早起きをして一人で見に行きました。皆家族と連れ立って来て、校庭は人で一杯でした。そこに自分がいるのは場違いの感覚でした。私の居場所は無く、何も分からない夢の中に迷い込んだようでした。 

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