第一章 全てを赦(ゆる)す色

銀杏(いちょう)が黄色くなる季節

泣きながら段々のみかん畑を一人歩いた。その時のことを久史(ひさし)は話してくれた。紫衣の父、久史は山口県の大島という海が綺麗な美しい島で産まれ育った。

瀬戸内の中では、淡路島、小豆島に次ぐ三番目に大きな島である。どこまでも澄んだ海とみかんの段々畑に囲まれ、金魚の形にも似た島は金魚島ともいわれていたそうだ。

この島はその美しさから瀬戸内のハワイと呼ばれているが、その名はある意味正しく、ハワイに移民した人たちがすごく多い島なのだ。

村上水軍の将・村上武吉が晩年を過ごしたことから、島の人々にはどこか海賊の血が流れているだとか、開拓精神が旺盛な人々が多いだとか、色々なうわさがあるが、単に貧しくて移住したというのが本当のところかもしれない。

実際に久史の叔父はアメリカに出稼ぎに行っていた。帰国した叔父を久史は「アメリカの叔父さん」と呼んでいた。アメリカの叔父さんが帰国して久史にくれたものは革のアタッシュケースとシェイクスピア製のフライフィッシングのリールと懐中時計だった。

久史はそれを叔父さんのアメリカでの成功の証としてとても大切にした。叔父さんのアメリカの話は面白く、久史はいつも楽しみに聞いていた。紫衣が大人になった時に久史が見せてくれたものがある。

古い布の包みから二つの指輪が出てきた。アメリカの叔父さんから、困った時はこれを売りなさい、と久史がもらったものだった。

本物とは明らかに程遠い二つの指輪。それを見た時に紫衣は顔に出すはずの悲しみを胸の奥底にしまいこんだ。

父もわかっていたはずだ。アメリカの叔父さんが手に入れることができたもの。騙(だま)されて買ったのかもしれない。これしか買えなかったのかもしれない。でもそれがアメリカの叔父さんの、アメリカで頑張った証なのだ。

叔父さんが努力し続けたことは、決して偽りのものではない。叔父さんは人生の艱難辛苦(かんなんしんく)があるからこそ、本当に望むものに向かって進むことを父に教えてくれたのではないのだろうか。

騙されていても、今まで努力してきたことが消えることはなく、その道のりが履歴書となり、人生の真価を証明してくれるのだよ、そんなことを物語っているようにも感じられた。

久史にとっては何よりも大切な宝物だったのだ。

ブルーの石の指輪と緑の石の指輪。

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