母と暮らした最後の365日
僕と先生の受験戦争
僕はとても驚いた。我ながら合格は厳しいと思われた受験。
遠藤先生は勇気づけてくれたが、極めて難しい挑戦に思えたので、病院関係者には「受験のことは絶対言わないで」、と母にくぎを刺していたはずだった。
ところが心細い母は一人その不安に耐えられず、ついしゃべってしまっていたのだ。母の部屋に入ると、間もなく、次から次へと看護婦さんが、「おめでとう!」と言いに来てくれた。
要は病院中に知れ渡っていたのだ。翌日の病室には先生や看護婦さんたちから貰ったプレゼントが並んだ。
明日もわからぬ命と言われながら執念で生き、合格を知った母は安心したのか、糸が切れたようにその後一気に容態が悪くなり、国立病院へ転院し、その後間もなく亡くなった。寒さが緩み始め、桜が咲き始めた頃だった。
遠藤先生のお陰で、僕は「生涯最初で最後の母への親孝行」をすることができた。
遠藤先生は、「受験を助けてくれた先生」に留まらない大切な恩人。そして僕の人生にとって、とても大事な意味を持つ中学受験を共に戦ってくれた生涯忘れえぬ戦友という存在となったのだ。
もう30年以上の前のことですが、この受験で入学できた中学の同級生と25歳の時、結婚しました。
この時の披露宴には、もちろん、受験勉強を熱血指導してくれた遠藤先生を真っ先にお呼びしたのは言うまでもありません。
招待客は、勤め先や大学関係や夫婦の友人たちなどで、小学校関係者は遠藤先生だけでしたが、あの教室での厳しい表情を見せることなく、終始優しい表情の好々爺となり、合い間、合い間に駆け寄ると、ご機嫌で満面の笑顔を見せてくれました。
少しは恩返しができたのかなと、これまたうれしい思い出でした。遠藤先生との出会いは、自身の行動が、時には相手の人生を変えるほどの影響があることを教えてくれた、大きな出来事でした。