1-2-4

 

【訳】秋の野で風が強く吹いて草木に宿る白露が飛び散る姿は、糸につながれていない玉飾りの玉が飛び散る(命が絶える)様に似ている

【歌人略歴】

文屋朝康(ふんやのあさやす)生没年不詳。平安時代前期の歌人、官人。文屋康秀の子。「寛平御時后宮歌合」「是貞親王家歌合」に出詠するなど、『古今和歌集』成立直前の歌壇で活躍した。勅撰和歌集には『古今和歌集』に1首と『後撰和歌集』に2首が入集している。

1-2解説

風そよぐならの小川の夕ぐれはみそぎぞ夏のしるしなりける

夕されば門田の稲葉おとづれて蘆のまろやに秋風ぞ吹く

吹くからに秋の草木のしをるればむべ山風をあらしといふらむ

白露に風の吹きしく秋の野はつらぬきとめぬ玉ぞ散りける

最初の2首は、夏から秋にかけての爽やかに風そよぐ情景を描いてます。次の2首は二つ合わせて風が強く吹きしく秋の情景を描いています。第1節と同様、季節の移り変わりが巧みに詠み込まれています。

3首目の文屋康秀の歌は、「山と風を組み合わせると嵐という字になる、なるほどね」という語呂合わせのような歌であり、あまりいい歌とも思えないのに定家はなぜ撰んだのか。

確かに単独ではあまりいい歌でないのかもしれないが、定家には、2首セットとして並べると、3首目の歌が、4首目の歌の前置歌のような性格になって、歌の姿、イメージが整う、4首目の歌を引き立てる効果がある、是非撰びたいという強い意志があったと考えられます。

実は、この4首目の歌には重要な意味があります。前半60首の流れの中にありながら、玉ぞ散る(命が絶える)という言葉で、後半40首の最後の、重要な式子内親王の歌を意識させています。このことは撰歌作業の当初から定家が真序の全体構想を描いていたことを強く想像させます。

なお、3首目の文屋康秀の歌は、実は文屋康秀の息子の文屋朝康の歌とされています。となると、一人1首という制約を破って撰び、作者名もあえて書き換えたと考えられます。

しかし定家の撰歌当時にこのことが一般的に認知されていたかどうかは微妙のようです。従って歌人名を偽っての撰歌とまでいうのは考えすぎかも知れません。

【前回の記事を読む】やまとの季節の移り変わりを的確に表現し、類似語が多く含まれる4首

 

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