わかるだろうか。目の前にいるのに再び声をかけられない自分に悔しさが残っていた。しかし、そのローマ字はしっかり頭にいれ記憶させていた。急いで帰りパンフレットの空白にメモを残した。
『MARITIME SAFETY AGENCY PM 九十八 AKIDU』どこの船だろう……白いスマートな船ってどのような船だろう。
お金持ちがよく持っている豪華な船なのか。この英語はなにを意味するものか。直訳するととんでもない方向に行ってしまう。マリタイム・セーフティ・エージェンシー ……、これはすぐに理解した。
これは運輸省の海上保安庁に違いない。海の救助チームなのか。またPM九十八のPMと数字はなにを意味するのだろう。船の名前は『あきづ』なのか。海上保安庁の男性なのでしょう。あまりピンとこなかった。
もう、この男に二度と逢うことはできないのか。せめてドックのことをきくこともできないのか。はてドックってなにかしら?
その男は遠くで一度テーブルにふりむき軽く会釈をして右手をすこしあげていた。さよならの合図か。恵利子もその男に自然に背伸びしながら軽く手をあげてこたえていた。やがてその男は去っていった。
その男の姿がちいさくなるまで見つめていた。ほんの十数分のできごとであった。そのできごとが心を支配することになった。心のなかでどうして連絡先をきかなかったかと、もうひとりの恵利子が憤慨していた。
城跡に興味を持っているのか。わたしの街、大洲と大洲城址を知っているのか。うれしい気分になっていた。和歌山県の人が愛媛県西の山間の街、大洲市を知っている。待てよ。ドック入りとはどういう意味なのかしら。ドックってなんだろう。
わかればもう一度逢えることはできるのか。すくなくともドックの意味を知らなければどうすることもできない。その男が近くの島にいる事実。でもあと二日でこの島を離れ大洲に帰らねばならない。
逢えることができる確約でもあれば休みを取りここまで来ることはできる。恵利子の心を支配する、突然現われた男。恋愛対象として考えることはないかも知れない。
しかし、知りたい。どのような男であるのか。知ればそれで気がすむのかも知れない。どうすればいいか、同じように来ているミス松山さんはドックの意味を知っているのかしら。お昼休みにきくことを考えていた。
恵利子の横で笑みを浮かべながら男との話をじっときいていた男がいた。大洲市商工企画課長の宮本であった。宮本はその男に非常に興味を持っていた。
背中のイニシャル、あれは海上保安庁のイニシャルであり海上保安庁の男だろう。しかし、単なる船員でない。船に乗っている。海上保安庁の船巡視船である。
ミス大洲の北島恵利子と何気ない話をしているが、ときどき光る鋭い眼光を感じていた。また身体つきを見てこの男はとんでもない男ではないかと思うようになっていた。腕を組んでしっかりと見ていた。
【前回の記事を読む】恋人はいるのに、突如現われた男性へのときめきが止まらない。何かありそうな予感が…