「はい、手掛かりは意外に近いところにありました。偶然が作用したとしか思えないくらいトントン拍子にあの詩の作者にたどり着くことができたのです」

「なんと、もう作者がわかったというのですか!」

浜村さんはまさかそこまでとは思っていなかったようです。

「いったいどこの誰があの詩を書いたのです?」

「答えに至った経緯はあとにして、まず名前を先に申しますね。《聖月夜》の作者の名前は留萌雅也(るもいまさや)さんというのです」

「るもい、まさや?」

浜村さんは留萌雅也の名前を、確かめるようにゆっくりと復唱しました。

「そうです、苗字は北海道の留萌市と同じ留萌、名前は雅也、みやびやかの雅に、なりの也です」

「またずいぶんと珍しいお名前ですが」

「その珍しさがまさにこの作者にたどり着けた大きな要因とも言えます」

私は喫茶《ぱるる》の春子さんとの出会い、そして偶然そこで《十六夜の会》の会報を目にしたこと、そこから留萌雅也の名前にたどり着いた経緯(いきさつ)について、順を追って詳しく浜村さんに説明しました。

「なるほど。まさに運命の導きとも言える何かを感じてしまいますな」

浜村さんは深い息をひと息つき、考え込むように腕を組みました。

「しかし、その留萌雅也さんがご勤務されていた週刊誌は、すでに廃刊になっているのですよね」

浜村さんは、私が春子さんから借りてきた留萌雅也の古びた名刺を眺めながら呟きました。

「ええ、ネットで検索したところ、週刊風神は一九八六年に創刊からわずか九年で廃刊になっています。発行元の風雷出版もその四年後に倒産しています」

「一九九〇年に倒産ですか。まさにバブル崩壊前夜ですね。留萌さんのことを知るには、その週刊誌と出版社のことももう少し調べる必要がありそうだ」

新たにやるべきことが見つかった嬉しさを浜村さんは隠しきれないようでした。

「短期間にここまで《聖月夜》の謎について知ることができたのは佐伯さんのお蔭です。こんな老いぼれの暇つぶしのような娯楽に付き合ってくださって、本当に感謝しています」

「とんでもないです、私こそ」

と言いかける私に、浜村さんは、

「佐伯さんのようなお若い方にはぴんと来ないかもしれません。が、私くらいの年になるとこのとおり、少しの無理で体は壊しますし、そうでなくとも誰しも三つ四つの持病を抱えています。収入も減り、私のように配偶者を亡くしている者もたくさんいる。

が、死なない限り、これから先も生きていかなければなりません。そのためには医者に通って不具合を治し、処方された薬を飲んで健康を維持さえすればいいというわけではない。生きながらえることと生きることは違います。生きるための何かを見つけなければならないのです」

先ほどまで少しやつれたように見えていた浜村さんの目に、突然火がともったようでした。

「生きるための何か……」

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