源五郎出奔

南に時折見える見沼(みぬま)の水面に目をやりながら歩を進め、一時ほど経つと南北に伸び行手を阻むかのように広がる見沼が現れ、それを見下ろす大和田という地に辿り着いた。

湖面を渡る風が心地よく二人に吹き付け、気分良く見沼を見渡しているとその対岸の畔に、木々に埋もれるようにある社殿の屋根を見つけた。

「あれが氷川(ひかわ)神社か……せっかくだ、参詣してまいろう」

「おらは遠慮しときますだ……左近様お一人で行くといいですだ……」

非人に身を落とした自分には、敷居が高いと感じたのか熊吉は断わった。

「おらは鳥居前町で、待ってますだ」

「さようか……」

二人して沼岸を抜け渡し場まで下りて行くと、舟には旅の牢人二人と、僧侶一人が乗り込もうとしている。

源五郎は二人分の舟賃八文(千二百円)を舟頭に支払い、つき丸をかかえ乗り込むと、熊吉とつき丸を見た牢人が露骨に嫌そうな顔をしたが、あえて気づかぬ振りをした。

興味津々と水面を見渡しているつき丸をかかえ、半刻ほど舟に揺られて対岸に着き、源五郎は最後に舟を下り辺りを見渡した。

そこには氷川神社のある小山を見沼の入江が取り囲み、南の陸続きに参道が伸びている。

渡し場から上がった小道はその参道の鳥居前町に繋がっていて、そこには多くの人々が行き交い、参拝者目当ての旅籠(はたご)や、めし屋、草鞋を売る者、土産物を扱う商店などが建ち並び繁盛していた。

現在では見沼そのものが無くなってしまっているが、神社の南側に広がる神池に、かつて見沼の一部であった名残りを見る事が出来る。

戦国の世に一般の人間が旅行などと……悠長な事などしてはいられまい。

と現代人の感覚では考えてしまいがちだが……。

しかしそうでもなかったようである事が、ある一人の僧侶の残した支出を記録した史料から紐解(ひもと)く事が出来る。